留学を終えて
ロシアに10ヶ月住み、生活した上で、何が一番の収穫か?? 日本に帰った今だからこそ、振り返る。
自分にとっては、「ロシア」という国があること、そしてロシア語を話している民族が本当にいること、それがわかったこと。このことが大収穫。これが今の自分に出せる答えである。
大学1年からロシア語を専攻として学んでいるが、留学に来るまでは、その自分の専門に生命の息吹を感じたことはなかった。ここ(日本)ではない、どこか遠い場所で使われている「らしい」ロシア語。僕にとっては生きた言葉、実用的な学問ではなく、机上の記号、教科書の文字の羅列であった。
しかし、留学に来て、自分の中でロシア、そしてロシア語は、かたちある、有機的なものに変わった。ロシア語が生活の中に入り込んだ…いや、生活の舞台そのものがロシアであるからだ。ロシア語が具体的なかたちをもったこと、大学入学時からを専門としていた自分にとっては喜びすら感じる。
大学での成績がそんなに良くなかった分、こっちに来てからのロシア語の語学力の「のびしろ」は非常に大きかった。でも、もちろん自分のロシア語力はまだまだである。ようやくスタート地点に立った、まだそのような意識である。ある種の「劣等感」を、これからも抱いて勉強していきたい。
何度も言うが、ロシアがだ〜い好き☆と、盲目的に言うわけではない。しかし、研究する対象としては非常に面白い国だと思う。別に嫌悪しているわけでもない、いい所もたくさんある。だから、もっと深く、だがある程度の距離を置きながら、深く知っていきたいと思う。
これまでブログを読んでくれた方々、ありがとうございました。やっぱ読んでもらえるって、嬉しいですね。また、これからロシアに行くという方の参考に少しでもなるほど、幸せなことはありません。
帰国の様子②
機体が離陸する。雲と地上の間の高度では、虹が見える。しばらくすると、雲の上に上昇、機内から見える景色は、一面の雲の海と青の空。
景色が単調なため、手持ちの文庫本を手に取る。モーパッサン「女の一生」。時折入るしつこいくらいの情景描写が、機内の殺風景な様子を彩る。彩るのはいいのだが、機内座席付属の読書用照明が壊れている。仕方ないので、窓から採光して明かりを取る。現地時間ではとっくに20時を回っているが、緯度が高いということもあり太陽が沈まず、雲の上もまるで昼間のような感覚だ。
しばらくすると、機内食が配られる。夕食だ。ロシア風の料理である。珍しいものではあるかもしれないが、味は良いものではない。機内食が終わると、消灯の時間である。
今は何時だろう。詳しい時間はわからない。手持ちの腕時計が壊れ、ロシアで買った懐中時計も手荷物のカバンの中。時差も計算しなければならず、時間感覚が狂ってくる。
ビジネスシートの上、眠れたのか眠れてないのかよくわからないが、とりあえず目を覚ます。しばらくすると、朝食代わりの機内食が出る。これもロシア風だ。身体の感覚がよくわからなくなり、おいしいのかまずいのかよくわからなくなってくる。
時間はまったくわからなかったが、機内アナウンスにより、あと1時間ほどで成田空港に到着だという。窓の外を見ると、なるほど高度もやや下がって眼下に街並みが広がっている。これはすでに日本なのだろう。日本に着いてしまったのだろう。
それから、成田空港到着までは、あっというまであった。
着陸、移動、入国検査。すべてがスムーズに行く。
日本に帰ってきたのだ。日本語の看板、日本語を話す人々、日本食を売る店。なにもかも、10ヶ月ぶりである。
しかし、感慨はまったくない。ロシアにいるときは、一息つけて安心感を得るのだろう、日本人の自分にとっては、日本が住み心地良く感じるだろう、そう思っていた。だが実際に故郷に足を踏み入れても、何も感じない。むしろ、10ヶ月過ごしたモスクワとは全く異なる環境であるため、違和感の方が強い。
もちろん、コンビニでお茶とおにぎりを買って口にしたときは、懐かしさ満開であった。しかし、空港から横浜の実家へ向かう電車へ乗り込むと、車窓から流れるあらゆるものが違和感を持たせた。狭い道路、センスのない凸凹の街、やたらと高い交通費…。
これが、僕の住んでいた日本であったのか。こんな街であったのだろうか。予想とは大きく異なった姿に、戸惑いは隠せない。
帰国の様子
自分ではそんなに疲れているとは思わなかったが、今日は午後3時近くまでずっと寝ていた。正直、まだ寝たりない。
でも寝ていても仕方ないので、このブログで帰国前後の様子を報告します。
6月21日
14時、空港へ向かうタクシーが来る。隣人や友人の見送りを受け、寮を出発。
ロシア語の看板、露店、路面電車…最後のモスクワの街並みは、以外にも自分の胸に感極まるものを呼び起こすことはなかった。それがいつも見る風景、いつも通る道だからだ。もうすぐ帰国だぞ、と自分に言い聞かせても、涙ひとつ出ない。
1時間半ほど経つと、シェレメチェボ第二国際空港に到着。もうここから街に引き返すことはない。
搭乗手続きまでは2時間ほどある。だからといって何をするわけでもなく、ただボーっと座っていた。
落ち着きをなくした人がよくそうするように、空港では特に深い理由もなく忙しくしていた。備え付けのテレビから流れるCMを暗記してやろうとして眺めたり、自分の荷物から文庫本を引っ張り出して2ページほど読んだらしまったり、売店に行っては空港特有の値上がりに閉口して何も買わずに出てきたり。手持ち無沙汰、とはまさしくこのことかもしれない。そういったことに疲れて、大人しくベンチに座ってもソワソワ。
搭乗手続き1時間ほど前になると、同じ寮に住む友人2人が見送りにきてくれた。これで少しは自分も落ち着くだろう。
彼らと話をしたりしてすごす。この2人はあと半年以上はロシアにいる。いろいろお世話になったので、離れるのは寂しいものだ。
搭乗手続きの時間が来た。2人に別れを告げ、カウンターへ。
搭乗券を見せる。スーツケースと機内持ち込みの手荷物の重さを計らされる(スーツケースは20キロまで、機内持ち込み手荷物は5キロまで。それ以上は罰金の対象となる)。スーツケースは問題なかったが、手荷物の方で、重量制限をオーバーしてしまった。手荷物の重さはそんなに厳しくないと聞いていたので、思いっきり荷物を詰め込んだのがいけなかったのだ。罰金を払えといわれる。
いくら払えばいいのかと聞くと6000ルーブル(約2万4000円)だなどと言う。そんなに払えるか、そもそもそんなに金はない、と言うと、じゃあ手持ちの金でいい、という。いい加減だな。
その後は問題なくスムーズだった。出国審査も問題なし。飛行機へ搭乗を待つのみだ。
搭乗手続きも出国審査の終わったこの間も、「待つ」というのは意外と辛いものだった。普段であったら本でも読んだり音楽でも聴いたりして時間を潰せばいいのだが、何をする気も起きない。ただ早く飛行機に乗せてくれ、とだけ思った。自分がボーっとしていて飛行機を逃したりしたらシャレにならないので、飛行機に乗らないうちは安心できない。乗ってしまえば、あとは飛行機が落ちようがハイジャックに遭おうが、自分の力ではどうしようもない。しかし乗るまでは安心できない。だからとりあえず飛行機に早く乗せてくれ。
ようやく機内に乗り込む。乗客の数はそんなに多くなく、座席数のざっと3分の2が埋まっていた程度であった。
幸いにも、隣のシートには誰も来なかったので、荷物置き場にさせてもらった。
40分くらいすると、ようやく飛行機が助走を開始。座席の背もたれが重力を持ったように、体全体が強く横に押さえつけられる。しばらくすると、肩が非常に重く感じられる。飛行機がもちあがって離陸が始まったのだ。
窓際から見える地上が、目に焼き付けられる最後のロシアの風景。さようなら。