日本との距離

ここロシアにいても、日本の情報は結構入ってきます。ニュースに関しては、ネットを通して、また、みちのく銀行には日経新聞が置いてあったりするので容易に情報を得ることができます。また、友人とも、瞬時にメールをやりとりできます。先日は、大学の部活の写真がオンラインアルバムで公開されたりして、懐かしい面々の姿を見ることができました。友人の個人的な写真を見たのは、ロシアに留学に来て初めてだったので、非常に懐かしいものがありました。

しかし、郷愁を誘われると同時に、何とも言えぬ、複雑な気持ちを感じたりもしました。


自分はロシアに来て3ヵ月半だ、あと半年以上はいる。
しかし日本に帰国したとき、はたして自分は日本という国と、その変化を受け入れることができるか。いやもちろんできるだろう、生まれて20年以上、日本に住み、良くも悪くも自分は日本人だ。これは逃れられない――逃げようとも思わないが―――、それに留学といったって、たった10ヶ月。今まで自分は21年と半年生きてきたが、その期間の5%程度だ。

でも、どうだろうか、やはり友人や知人、先輩、後輩はその5%のあいだ見ないうちにだいぶ変わっているのだろう。
部活の写真がそれを物語っている。4ヶ月見なかっただけなのに、みんな、どこかしら変わっている。また、大学の同級の友人は就活の真っ最中だという。自分がルームメイトと一緒にテレビで「Mr.ビーン」を見て笑っている間、彼らはおそらく、説明会に足を運んでいるのだろう。卒論の準備をしている人もいるかもしれない。それに、大塚愛の新アルバムが出たなんて全く知らなかった。日本へ一時帰国する料理の師匠に買ってきてもらわないと。

いわば、自分は社会的には1年間、時間が止まっている。
正しい時間の使い方など存在しないが――自分は浦島太郎に、母国内で異邦人となってしまうのでは―――。嬉しいような、取り残されたような。

ドストエフスキーの長編のひとつ「悪霊」。
その主人公ともいえるニコライ・スタヴローギンはロシア人なのですが、長い外国生活のため、ロシア語のつづりを間違えるという「ついぞ正しいロシア語を学ぶことのなかった」ロシア人です。いわば、自国内で異邦人になってしまったのです。彼はさまざまな点で人並み外れた才能と感情を持ち合わせ、まさに「天才」。そんな彼と自分を比べることは全くできません。でも、自分も、彼のように帰国したら自国内で異邦人となる――そんな妄想が頭をよぎってしまいます。(まぁ、彼の場合はロシア社会に反旗を翻すため、わざとつづり字を間違えた、という解釈もできるとは思いますが。)
いや、だからといって、別に日本に今すぐ帰りたいって言いたいわけじゃありませんが。