サンクトペテルブルグ②

寝台車のベッドきつい。ひと一人が寝るのにはちいとばっかし窮屈じゃないかな。ロシア人なんかはこんなベッドで本当に眠れるのだろうか。
そんなわけで、朝の5時ちょい前に目が覚めてしまいました。眠い目をこすりながら窓を見ると、まだ外は暗いのですが地面は真っ白。雪が積もっているようです。モスクワはまだあまり雪が降ってなかったのですが、北の方ではやはり多少の気候の差があるみたいですね。

5時30分。ようやくサンクト・ペテルブルグに着いたようです。

やはり、ペテルは寒い。雪が積もっているというのもあるのですが、おそらくモスクワより3〜4℃くらい気温は低いと思います。いやー寒い。いやー疲れた。
駅について。迎えのマイクロバスが待機しています。え、これからホテルに向かって朝食?でそのあとすぐ観光?パトラッシュ、僕もう疲れたよ…。
ホテルに向かう途中、まだ真っ暗なほど時間も早かったのでバスで市内をドライブです。「罪と罰」にも出てくるネフスキー大通りや、様々な観光名所を通りました。また、ペテルは川と古い建物が多い町。モスクワにはない、古都の趣があります(モスクワの方がずっと古いのですが)。
ホテルで朝食を取ってから向かったのは、ペテルから郊外にあるツァールスコエ・セローЦарское Селоという町。「皇帝の村」という意味のこの町は、貴重な文化財や美しい風景を抱いた場所です。
僕らが行ったときは、ちょうど雪も止み、太陽が顔を出す日の出の時刻。朝の清々しい空気。綺麗なままの雪のカーペット。そして、エカテリーナ宮殿Екатериниский Дворецという美しい宮殿。夢のようでした。このエカテリーナ宮殿、特に必見と言われるのは琥珀の間。内装の全てに琥珀が用いられ、黄金とは違った高貴な輝きを放つ部屋です。近年、修復が終わったそうです。
まあ、綺麗な部屋なんですけど、正直言うとこんな部屋に長時間いたくないです。なんか落ち着かなくて。決して趣味のいい部屋ではないかもしれません。
因みに、この宮殿を見て回っていたとき、ちょうど日本人団体とも出くわしました。何も話しませんでしたが。

次に言ったのがペトロパブロフスク要塞Петропавловская Крепость。この要塞の建設は、サンクト・ペテルブルグ誕生とイコールの関係です。もともと、スウェーデンとの戦争のために開かれたペテルブルグですが、ここの要塞が対スウェーデンの要所。そのせいか、この要塞の周辺はもちろん、ペテルの普通の道にも物々しい大砲が残っていたりしてドキリとします。


その後は自由時間。そのため、僕は他のツアーの人々と別れ、ペテルに留学しに来ている大学の友人に会いに行きます。で、僕が連れていってほしいとせがんだのがドストエフスキーのお墓。僕がペテルに来た理由の一つには、彼のお墓参りがあります。

ドストエフスキーのお墓はアレクサンドル・ネフスキー修道院Александро-Невская Лавраにあります。ここには大規模な墓地があり、その中にはチャイコフスキーやカラムジンなどのお墓もあります。
友人とメトロに乗り、その修道院まで向かいます。午後から降りだした雪もやや強くなり、駅の前で転がっている、寝てるのか死んでるのかわからない人間も出てきました。で、修道院を抜けて墓地に着いたはいいんですが、いかんせん数が多すぎてどれがドストエフスキーのお墓かわからない。それもそのはず、彼のお墓は墓地の中でも端っこの方にありました。墓石に被った雪を払い、花束を彼の墓に捧げ、手を合わせる。この間およそ3分。十分、満足しました。

その後は友人と中華料理店へ。
そこへ向かったのは「ロシア人がチャイナドレス着てるよ」という彼の鶴の一声があって決めたからですが、まあそれはともかく美味しい中華料理をお腹いっぱい食べてきました。ところで僕の大学はいま文化祭の最中だと思うのですが、中国語専攻が出しているお店もこんな衣装だったなあと思い出してしまうのでした。
その後、なぜか本屋でらんま2分の1のロシア語版を買い、彼と別れてホテルに戻りました。いやー疲れた。