外国語を勉強するということ

実は、僕は日本では東京にある、国立の、外国語教育専門の大学の学部3年に籍を置いているわけですが、そのために外国語学習の長所・短所を入学当時から痛感していました。ことばは、人間のある種根本の部分であると思っています。後天的な要素ではありますが、人間が社会を営む上で最低限必要な要素でしょう。そのため、母語とは違う、外国語を学習するということは人格形成に影響を及ぼす、と考えています。
そんな外国語学習。長所はどこか?
もちろん、外国語学習で、話せる範囲が広がるということ。外国語を勉強しようとする人の大部分は、これを目標としているのではないでしょうか。例えば、ロシア語をある程度話せれば、もちろんロシア人と話すことができますし、ロシアでの生活もグンと楽になります。今だったら、英語と中国語さえできれば、世界のほぼ全員と会話できるといいます。
また、違う言語は違う世界を覗かせてくれる、ということ。うまく説明できませんが、ダブルスタンダードになって母語とは違う基準が多少は身につく、というか。

では、短所はどこか?

疑うことが難しくなる」ということ。外国語の学習は、特に初心の段階においては、辞書や先生への疑いがあってはおよそ成立しないためです。悪く言えば丸暗記、鵜呑み。そんな習慣が身についてしまうのではないでしょうか。
例えば、先生が「ロシア語で『книга』は本、という意味です」と言ったとしたら、それに疑いの余地はありません。マジメな生徒は家でкнигаという単語を何回も読み、何回も書き取るのです。
もちろん、ある程度語学力がつけば、微妙なニュアンスという点で辞書や先生に疑問を持つこともあるでしょう。でも、語学の基本は丸暗記ですし、疑いが入れば成立しにくい。そんな鵜呑みの習慣が、ちょっとコワい。
国語学習を批判するつもりはまったくありません。でも、ちょっと気をつけた方がいいな、と思っただけっす。