アヴァンギャルド「罪と罰」

今日はモスクワ芸術座Московский Художественный Театрで、ドストエフスキー罪と罰Преступление и наказаниеを見に行きました。200ルーブル(約800円)。

このモスクワ芸術座は、3つのсцена(舞台)を擁しています。今まで行ったのは、основая сцена(本館舞台)ですが、その他にмалая сцена(小舞台)とновая сцена(新舞台)があります。今回は、その「新舞台」で催された「罪と罰」を目当てに足を運んだというわけです。


規模の大きな本館舞台とは異なり、この新舞台はかなり小さなつくり。せいぜい100人入るか入らないか。それだけに役者との距離も近く、緊迫感のある芝居が楽しめるところです。さらに、2週間ほどまえにすでにチケットを購入していたからか、僕の席はなんと最前列。手を伸ばせば役者に届きそうな距離です。


さて、問題の劇ですが。


ここに限らず、どの劇場でも「小舞台」や「新舞台」などメインでない舞台では、けっこう実験的な公演を行うと聞いていましたが、良くも悪くも今回はそのいい例。


原作を再現しようとは微塵も思ってないのがわかりました。「罪と罰」というか、「罪と罰」をモデルにした劇、とでも言うべきでしょうか。原作はあくまでモデル。ドストエフスキーお疲れ、あとは俺達が手を加えてみますぜ、という感じ。
筋書きはだいたいわかるのですが、やってることや言ってることはかなりオリジナル。なぜか塗装屋の漫才が入ったり、ラスコーリニコフが水を被ったり、予審判事ポルフィーリーがなぜかいろいろな変装をしたり。セットも、劇の雰囲気も、独特の解釈の基に構成されており、前衛的。アヴァンギャルド


そういう解釈は面白いんですが、外国人にとっては、こういうのは辛いんです。なぜって、何を言ってるのか、何が起こっているのか、あまりわからないから。チェーホフの戯曲のように、基本的に原作をなぞる劇(=劇場で演じられることを前提として書かれた作品)だったら、言葉が聞き取れずとも何が起こっているのかはわかるのですが、今回のような大きな改変をされてしまうともう大変。置いてけぼりにされた感があります。周りの人が笑っていても、自分はなぜかわからない。えっ、なんか面白いこと言ったの? て。それって、結構、寂しいことですよね。だから、楽しいとは思いませんでした。


でも、ホントに近い距離が幸いして、芝居の迫力は十二分に伝わってきました。ラスコーリニコフの、興奮による頬の紅潮と滴る汗、ソーニャの、怯えるような目つきと震える腕。。言葉がわからない分、そういう点に注目して見ていたのですが、それはそれでなかなか感心させられました。言葉が完全にはわからなくとも、そういった見方もできるから劇場へ足を運ぶことはやめられません。