準備完了!

国家の価値は、結局それを構成する個人個人の価値である。
byミル

はい、更新遅れてごめんなさい。
ブログの名前変えてみました。留学行ってからは、浪漫あふれるロシアをお届けしたいと感じてます。
また、ついについにあさって、ロシア出発ということで。
ずっと、片付けや準備してました。
具体的には、みちのく銀行で口座作ったり、スーツケース買ったり…
部活でもないのに、足の裏の皮がむける激しい勢いです。
スーツケースは、一番大きいの、110㍑くらいのを買いました。
「大きいことはいいことだ」てわけじゃありませんが、何かと便利そうなんで。

あと、準備やら何やらしていくと、人間はいろんな枠の中で生きてるんだ、と実感しました。

大きな枠としては、パスポートやビザを見ると、「日本国民」であることを意識させられる。国籍;日本てありますしね。
また、さらに小さな枠は、市役所とか行ったときでしょうか。
僕は「日本国民」だけでなく「−−市民」でもありました。
住民票を抜いて、強く実感しました。
あ、海外に行ってる間は、国民年金を払う義務がなくなるそうですね。
任意で払ってもいい、と言われましたが、遠慮しました。
他には、「−−大学学生」としての自分。
「−−銀行顧客」としての自分。「−−の元バイト」などなど。
うーん。自分では結構、気ままに生きてきたつもりですが、いろんな枠の中で生きてたんですね。

片付けに関しては、手伝ってくれた方々皆に感謝です。

彼らがいなかったら、未だに僕の寮の部屋にはカオス的空間が広がっていたはずです。

でも、部屋がガランとしているのも、寂しいですね。

今はその片付いた部屋にひとりキーボードを打ってるのですが、めっちゃ寂しい…
友達とチャットやってかなり気は紛れるのですが、何もない部屋って怖いですね。
誰かが「カオス<混沌>は、万物の創生のもとです」なーんて言ってたけど。
この寂しさなら言える。
カオス<散らかった部屋>は、とても人間らしい。だから正しい姿である。
よくわからなくなりましたが、以上が結論。

追伸 部屋の片づけを手伝ってくれた方々、本当にありがとうございました。